−小島利明の『レインボーマン』−

 70年代の数あるバーニングスピリッツを持つ特撮ヒーローの中でも、川内康範が生み出した哀・戦士もとい「愛の戦士 レインボーマン」。その詳細は映画秘宝「夕焼けTV番長」の拙稿をお読み願うとして、要するに仏教における釈迦の仇敵であったダイバダッタによって日月火水木金土の七つの化身と化す超能力を与えられたヤマトタケシことレインボーマンは日本人絶滅を図る死ね死ね団に日の丸を背負って立ちはだかり、精神病院にぶち込まれ、南朝天皇家を守って新興宗教を叩き潰し、経済恐慌から国民を守るために国会議事堂に出向いて大臣に食糧の配給を直訴するという、政治・経済・宗教・道徳といった要素がスパークした大傑作であった。  そのレインボーマンの活躍を描いたのが、小島利明(脚色は伊東恒久)による漫画「レインボーマン」である。

 下町の黒豹と噂されるタケシがその暴れっぷりからレスリング部を退部させられ、地上最強の男と噂される仙人ダイバダッタに弟子入りしようと、71年当時東パキスタンと戦争状態あったインドに旅立ち、ダイバダッタから猛特訓と薫陶を受けて、人類愛のために戦うレインボーマンとなる。そして恋人の家の借金を返すために、死ね死ね団始動の前祝いとして催されたデスマッチに引っ張り出される所までは大体同じ(まあ、デスマッチが裕福そうな白人の客達のパーティ会場のど真ん中で催されるとか、その対戦相手がゴリラといった変更点はあるが)。

 漫画版が突っ走り始めるのは、それから。飲んだ人間を発狂させて自殺へと追い込む薬「キャッツアイ」を作った死ね死ね団はうまく捕まえたタケシを洗脳しようとし、医師の洗脳装置とタケシの闘いが続く。暗闇でのストロボ攻撃に続き、超音波、電撃、120度の熱蒸気、怪電流の流れる脳波変調措置とメニューが続き、その度に「バリバリバリ」という効果音と「うわぁぁぁぁぁっ」というタケシの悲鳴が、40ページ近く、交互に続く。しかしタケシはベッドのネジで自らの体を傷つけて洗脳地獄を脱すると、レインボーマンに変身、窮地を脱する。そしてレインボーマンとなって全都民致死量分のキャッツアイが投下された村山貯水池に飛び、体中からエネルギーを放出してゲッターシャインというかウルトラダイナマイトのような火の玉状態で貯水池に突入してすべての水を蒸発させ、地割れを引き起こしてキャッツアイをすべて地底へ送り込んでしまうのだった。

 ここらへんはまだTV版のスケールアップ版で済むが、ここから漫画版は殆どオリジナルの世界に突き進んでいく。そのせいか、筆者が「愛の戦士 レインボーマン」で一番好きな、秩父の隠れ里に住む南朝天皇家の残党が出てこないのが悲しい。

 その後タケシは、新興宗教・拝魔教の崇拝する巨神像大魔神ウーラや、鉄人28号とマジンガーZとウルトラマンを足して3で割ったようなサイボーグアームズなどと戦いつつ、いよいよ佳境に入っていく。  

 さて、まず第七章「ミスターKの秘密」で、死ね死ね団の首領、ミスターKの正体が明かされる。TV版では終始ダンディながら得体の知れない人物(過去が語られることはおろか、最終回では肉声入りのテープを残して姿を消し、その存在の正否さえ煙にまいてしまった)として描かれたミスターKだが、ここでは、タケシの妹で身障者・みゆきの脚の手術をしようとするユルゲンス医師のニセ者として自ら乗り出してくる。しかしそれに気づいたタケシが手術室に飛び込むと、ミスターKはまさに劇薬の入った瓶をみゆきの顔にかけようとしていたところだった。

「いったいみゆきをどうするつもりだったんだ」

「フッフッフッ コンナ顔ニシテヤロウト思ッテナ」

 と言いつつマスクを外したKの顔は、右目からこめかみにかけて醜い火傷に覆われていた。

 ミスターKは麻酔の効いたみゆきを人質にとりながら、三十年前(昭和16年)の話を始める。その頃貿易会社の社員として妻と娘・息子と日本に滞在していたKは太平洋戦争勃発にともない、憲兵隊に連行されて拷問を受け、顔を焼かれたのだ。「数日後スパイ容疑ノハレタワタシハヨロコビイサンデワガ家ニモドッタ シカシソコニ見タモノハ妻ヤ子ドモノムザンナスガタダッタ ワタシガ憲兵隊ニ拘置サレテイルアイダニスパイノ家族トイウコトデ日本人ノ手ニヨリ殺サレテイタノダ」。本国への引き揚げ船でKは誓った。 「日本人ハヒトリタリトモ生カシテオクマイト!」

 そして日本人は再び経済で世界征服を狙っていると断じ、「コノヨゴレキッタ血ヲモツ黄色イブタ! 日本人ノ野望ヲウチクダカント」死ね死ね団を結成したのだ。どうも漫画版のミスターKは感情的で、TV版のレインボーマンを突き放していた印象とは反対に、タケシに自分の心情をわざわざ吐露していく。何かここらへんは、TVでは表現や話の展開上無理な部分を突っ込んできた感がする。

 それが如実に出たのが、第八章「Z計画をはばめ」だ。母校のレスリング部の快勝を祝いに訪れたタケシは、レスリングへの情熱を忘れた乱暴者として後輩達に冷たくあしらわれ、悩む。

「いまのおれはレスリングどころかレインボーマンとして日本をまもるためのおもい十字架をせおい死ね死ね団の魔手と戦っているんだ! 宿命とはいえおれの青春は死ね死ね団と戦うためについやされていくのか! おれにはこんな青春しかないのかーっ」

 そういえば、TV版であれだけ出てきた恋人は漫画では借金のイザコザ以来出てこないし、やはり生き別れたはずの父親はその設定さえ抹消されている。漫画版のタケシはけっこう孤独である。というわけで登場するのが、雪園リサ。星柄のペストにサングラスを額にかけた、ナウいギャル。ヤクザにからまれている彼女を助けたタケシは、誘われるままにドライブ・飲酒・ゴーゴーダンス。翌日は湾岸道路をドライブし、海辺て戯れる。その帰り、ラジオで死傷者が130名を超える原因不明の脱線事故を聞いたタケシは、何でもかんでも死ね死ね団のせいにする自分に疑問を抱く。

「おれだってふつうの若ものなんだ 人なみにあそんだり……恋もする! レインボーマンとしてはたらくばかりがおれの青春じゃない おれにだってこんな青春があってもいいはずだ!」

 そしてタケシがボーリング場やスナックでゴーゴーダンスを楽しんでいる間、今度は死傷者250人以上の脱線事故が発生する。タケシはリサが暴力団に金をもらって自分を連れ回していることに気づき、改心したリサと共に暴力団事務所を叩きのめし、死ね死ね団が今度は東海道線の藤沢周辺で事故を起こそうとしていることを知って現場に駆け付ける。死ね死ね団員達と戦闘に入ったレインボーマンは、リサに近づいてきた列車を停止させるよう頼む。背後からリサに近づく死ね死ね団員! レインボーマンは遠当ての術を使うが術は効かず、リサは射殺される。

「くそっ リサのためにも列車をとめなければ! 不動金縛りの術! たあーっ」

 しかし列車は止まらず、脱線。ついに305名の死傷者が出る大事故となる。「世間なみの若ものとおなじように青春をほしがりレインボーマンの宿命からのがれようとしたために」多くの犠牲者を出してしまったことを、タケシは苦しみ続ける。ここらへんは副主題歌「ヤマトタケシの歌」に歌われながら、TV版ではさらりと流されてしまった「どうせこの世に生まれたからにゃ、お金も欲しいさ、名も欲しい、自分の幸せ守りたい、僕だって人間だ、僕だって若いんだ、恋もしたいさ、遊びたい」というヒーローの暗部をそのまんま絵にしたところが、恐ろしい。  しかしちょっとプライベートを重んじたレインボーマンはその超能力を失い、あっという間に死ね死ね団にとっ捕まり、地底深くZ計画の人柱となる。死ね死ね団は関東の大断層に核爆弾を搭載した地底戦車モグネス(モグラートではない)をぶつけ、大地震を起こそうとしていたのだ。十字架に磔となったレインボーマンの前で発進するモグネス。

「おれはこの手足をくいちぎってでも核爆発をとめなければならん!!」

 その時人類愛に目覚めたレインボーマンに超能力が甦り、レインボーマンは人語を話す防衛コンピュータと、ダイバダッタの説教と、モグネスの解体と、サイボーグの襲撃と、溶岩の流入をという釣瓶打ちの障害を乗り越えて、Z計画を阻止する。

 そして第九章「決戦! 細菌島」である。ここまで来れば、何でもあり。タケシは警官と新聞記者団を引き連れてモグネスの残骸を見せながら、死ね死ね団の存在とその公表を訴える。

「それはいかん」

 突如全身黒い背広とネクタイに身を固めた男の一団が現れる。彼等は「防衛庁」と書かれた手帳を見せると、タケシと記者達を市ヶ谷自衛隊官舎に似た建物に連れ込む。防衛庁コマンド機関の由利一佐と名乗る男は、国民に不安を持たせないために死ね死ね団の存在をもうしばらく秘密にすること、そして政府が死ね死ね団を極秘裏に調査してその細菌を研究しているアジト「細菌島」を突き止めたことを語り、タケシに協力を要請する。巡洋艦でタケシとコマンド部隊は細菌島に潜入、地雷原と毒ガス攻撃を突破。しかし死ね死ね団の装甲車部隊と銃撃の末コマンド部隊は全滅、ただ一人生き残ったタケシも基地内で捕らえられてしまう。

「コレデ芝居モ終幕ヲムカエタトイウワケダ」

 タケシの眼前に死んだはずの由利一佐が登場し、マスクを外す。ミスターK! 自衛隊コマンド部隊というのは真っ赤な嘘、タケシと記者達を細菌島に連れ出すための大芝居だったのだ。よーやる。そして別室に閉じ込められた記者達は、全員バクテリアXで体をドロドロに溶かされて悶死する。タケシはレインボーマンに変身して牢獄を脱出、基地を破壊し、ミスターKが最後の力を振り絞って発射した細菌ミサイル群を撃破し、平和を取り戻すのだった。

 というわけで何やら自衛隊という国家組織をも悪の組織と同レベルで論じてしまう過激な展開を見せて漫画版『レインボーマン』は幕を閉じるのだが、やはり注目すべきはミスターKとタケシの人間的な弱さを徹底的にさらけ出したところだろう。子供向けヒーロー番組としてどうしても割愛せざるを得なかったドラマ部分や、戦後社会で論議を呼ぶ新興宗教や自衛隊・戦争犯罪をあえて俎上に上げ、個人のアイデンティティの至高を滅私奉公という戦前の修身的美徳に位置づけるあたりが、いかにもレインボーマンらしい。レインボーマンは正義のヒーローでなく、戦後忘れられた日本人とその社会の美徳の象徴なのである。


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