−『白昼の暴行魔』シリーズ−

「白昼の暴行魔」。うーむ、なんとストレートすぎる題名でしょう。私たち'70年代に青春を送った世代には、「白昼」といえば「襲撃」でも「死角」でもなく、「暴行魔」が頭に思い浮かびます。元々本作が劇場公開されたときはSTチェーンで「巨大蟻の帝国」と二本立てというマイナーな公開だったのですが、いざ東京12チャンネルで公共の電波に乗せられてお茶の間に送られた結果、当時レンタルビデオなんてものが無く、エッチな映像を見るためにあの手この手で「独占!大人の時間」「エマニエル夫人」にかじりついていた世代の脳天に百万ボルトのショックでその題名を刻み込んでしまったのです。劇場公開時はコケて、テレビ放送で花開いた「燃えよデブゴン」とサモ・ハン・キンポーみたいですな。

 主演はレイモンド・ラブロック。'70年前後「ガラスの部屋」「火の森」で日本中のギャルをキャアキャア言わせたラブロックも、その後は「悪魔の墓場」のゾンビ、「カサンドラ・クロス」のツバメ役と見事なほど坂を転がり落ちていき、真打ち「白昼の暴行魔」の主役で我々映画秘宝読者にその名を脳に刻み込まれる結果となったのです。

 本作のストーリーは簡単です。ラブロックら銀行強盗の三人組が、逃走中海岸の別荘に逃げ込みます。そこにはミッションスクールの女学生が数人、教師の尼僧の引率の下、夏の合宿に来ており、彼女らはあっという間に監禁され、なぶられまくります。といっても、ラブロックはまだかつてのスターとしてのプライドを捨て切れていないのか、ヘラヘラ笑っているばかり。おのれは「子連れ狼・死に風に向う乳母車」の加藤剛か!

 当初は尼僧らしく、凌辱されても耐えに耐えていた尼僧ですが、助けを呼びに行こうと逃げ出して捕まった女学生が股間に猟銃を突っ込まれて悶死するという事態に陥り、遂に神を捨て、女生徒と共に反撃。脚を怪我していた強盗を毒殺し、女学生を殺した男を射殺。最後「俺は欲しいのは金だけさ。君たちを怒らせたのはあいつらだぜ」とヘラヘラ笑って逃げようとするラブロックの腹を猟銃で撃ち、逆上して反撃してくる彼を女生徒全員が棒や熊手で叩いて刺してなぶり殺すという、神の沈黙と人間の獣性を問うと共に、因果応報という道徳教育を打ち出した物語でした。嘘だけど。

 ちなみに本作は「狼たちの夏」という腑抜けた題名でビデオ化されており、先日十数年ぶりに再見しましたが、いやあ、……つまらない。バイオレンスもエッチもろくに出てこない、昔何でこんなのを血走った眼で観ていたのかという、情け無い作品でした。

 とはいえこの凶悪な男達が女学生達を監禁して悪さをするという設定はクリント・イーストウッドの「白い肌の異常な夜」を筆頭に、「学園バスジャック」「ハイティーン襲撃」、数年おいてにっかつ「白薔薇学園・そして全員犯された」まで延々と続いていくのですから、世の男達の嗜好にベストマッチングした内容だったのでしょう、火曜ロードショーのエッチ部門の総大将的な存在に印象づけられるほどの人気を確保しました。

 かくして東京12チャンネルの号令下、「白昼の暴行魔」はシリーズ化されました。

「白昼の暴行魔U」は、監督ウェス・クレイブン、「鮮血の美学」としてビデオ化された作品です。17歳の娘が仲良しの友達と森へ遊びに行ったところ、愚連隊にかどわかされ、さんざん連れ回されてなぶりものにされた挙げ句、無残に殺されるというものです。ところがその愚連隊、町に来て善良な旅人の振りをして一軒の家に泊めてもらうことになりますが、その家の親父が殺された娘の父親。あっという間に愚連隊の正体はばれ、親父によって皆殺しの憂き目に会うという、これまた因果応報の道徳教育にピッタリの内容でした。なにせ本作はイングリッド・ベルイマンの「処女の泉」を元ネタにしたとされているのですから、その芸術性と志の高さは……ねぇよ。やはり今から観るとエッチはなし、バイオレンスはダラダラと間延びした、すんごくつまらない作品でした。

 しかしフェニックスは二度甦る。好評に応えて(誰の?)、シリーズ三作目「暴走族/白昼の暴行魔」が登場します。ここまで来ると鎌倉幕府三代目、内容は初代と全然違います。まあ、もともと本当のシリーズ作品ではありませんが。これまた町の有力者を親に持つ不良グループが、町中で暴れ放題。主人公ジム・カイラー(ロバート・カルプ)が怒って注意したところ、彼等はジムの妻子にさまざまな嫌がらせを行います。題名からするとこの美人の奥さんが餌食にされるのかと期待……不安になっていると、残念ながら……幸いなことにそんな場面は微塵もありませんでした。そして相次ぐ嫌がらせに激怒したジムは、夜中不良達の家に突撃しては「ジム・カイラーだ! 文句があるなら言ってみろ!」と怒鳴りまくって、不良達家のグリーンハウスや自動車を壊しまくるなど、相手には指一本触れることなく、庭で一人で暴れまくるのでした。もちろん彼を訴える人はいませんでした、チャン、チャンという、ただの「ウォーキング・トール」ものでした。どこにも白昼も、暴行魔もないぞ、こら。

 というわけでB級エッチ洋画と思われていた「白昼の暴行魔」シリーズ、実は宗教、人間の本質、そして非暴力主義の限界を強く問題提起した、非常に道徳教育的意義の高いシリーズだったのです。低俗な作品の振りをして、その実内包するテーマは荘厳かつ深いという、誠に活動屋魂の見本たる作品群……のわきゃねーだろ。実に、実にインチキな邦題を付ける、火曜ロードショーワールドの見本のようなシリーズでした。


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