−『怪奇大作戦』『日本名作怪談劇場』 怨念と情念がブラウン管を血に染めてた頃

●円谷プロの革新的モダニティ

 1968年は、東宝は自社の怪獣路線に終止符を打つべく『怪獣総進撃』を公開。その一方で、大映は『妖怪百物語』『妖怪大戦争』、松竹は『吸血鬼ゴケミドロ』を公開。TVでは『ゲゲゲの鬼太郎』が開始。映画/TVで、怪奇色の強い作品が一つの潮流となろうとしていた、転換の年であった。

 この年、円谷プロも『ウルトラセブン』を終了。同社の柱であるウルトラシリーズに代わり、『怪奇大作戦』(TBS)を世に送り出した。本作は、岸田森ら扮する科学者たちが構成する科学捜査組織SRIが怪事件に遭遇していくというストーリー……という印象が強いが、実はこのシリーズ、2つのコンセプトが混在している。

 そもそも円谷プロの名を高めた『ウルトラQ』(66年)は、企画段階の題名が『アンバランス』であり、自然界のバランスが崩れたらどうなるか、といった現代のミステリーゾーンならぬアンバランスゾーンを描く、ファンタジー色の濃い作品が想定されていた。『怪奇大作戦』でも、事故死して甦った外人少女が吸血鬼と化して殺人を重ねる『吸血地獄』(脚本・金城哲夫)、孤独な老人の意志を汲んで殺人を計画する人形の『青い血の女』(若槻文三)など、人知の及ばぬ所から怪奇現象が引き起こされる暗黒のファンタジーともいえるエピソードが少なからず存在する。

 しかしやはり本作の多数を占めるのが、人間によって、怪奇現象という形を借りて巧妙に科学によって仕組まれた犯罪を、主人公たちの科学捜査が解明していくというスタイルだ。しかしその果てにあるのは、大半が上原正三や佐々木守らによって位置づけられた、虐げられた人間の怒りであり、ここで主人公たちは例え犯罪者を捕らえても、彼等を犯罪に走らせた原因と結果を解決するまでには至れず、その後味の悪さという点で、強烈な印象を残す。例えば、被爆した妹の体を治す超低温治療技術の実験の為に通りすがりの女性を凍らせまくる男の『死神の子守唄』(佐々木)、人体の冷凍保存技術の実験の為に狂った科学者が何も知らない会社員を冷凍、甦って全てを凍らせまくる冷凍人間として徘徊する彼を元に戻すことができず、SRIが彼を殺してしまう『氷の死刑台』(若槻)、終戦を知らずに水棲人間と化した日本兵が米軍に孤独な戦いを挑んで爆死する『24年目の復讐』(上原)、動機もなくかまいたちを発生させる装置で通行人をバラバラにしまくる男の『かまいたち』(上原)、古都京都への現代人の愛情の欠落に絶望し、仏像を物質電送装置で盗む人間達を描いた『京都買います』(佐々木)、狂人によって家族を惨殺された女科学者が、精神障害者の犯罪が無罪になる現代社会に復讐する為に「狂わせ屋」を開業、依頼者を機械で一時的に狂わせて殺人を犯させ、罪に問われない殺人者を増産して行く『狂鬼人間』(山浦弘靖)などは、本シリーズの高い評価を呼ぶ原動力となっている。

 いずれにせよ、本作は怪奇・SF・スリラー・ファンタジー・犯罪ドラマといった複数の要素が見事に消化され、凡百の幽霊やサイコの登場で終始していた怪奇番組に、怪奇現象を恐怖でなく事件として捉えるという方向性を示唆、怪奇番組の作り方に様々なバリエーションがある事を提示した。『怪奇大作戦』は、「怪奇」という、日本のTV界でゲテモノ扱いされるジャンルに革命的な近代化を起こしたのである。この後、円谷プロは対象をよりアダルトにした『恐怖劇場アンバランス』(69年)を製作。この作品自体は一時期オクラ入りするが、アダルト向けのサスペンス色の強い怪奇番組という分野は、後の長時間ドラマの勃興時に大いに役立つ事となる。

 72年にはジュブナイル版『怪奇大作戦』ともいうべき『緊急指令10-4-10-10』(NET)を製作。無線クラブの「電波特捜隊」が、無線で寄せられる様々な怪事件に立ち向かうという作品。吸血植物やバクテリアによって甦った死体、ある種の音楽によって収縮し人間の首を絞めるネックレスなど、怪奇性の強いストーリーが前面に押し出されるが、ここらへんになると単なる怪獣番組色が強くなる。この「怪奇特捜もの」とでも呼ぶべき路線は、この後古代文明の謎を探る『科学冒険隊タンサー5』(テレビ東京)にまでつながるが、この作品については割愛する。

 73年には『エクソシスト』の大ヒットによって、オカルト映画ブームが到来。各局でも怪奇色の強い番組を放送するが、円谷プロでも『君待てども』(74年・フジテレビ)という、戦時中の娘の霊が現代の娘に取り憑いて恋を成就しようとする昼メロを製作。その後円谷プロは、ウルトラシリーズの終了と共に特撮を前面に押し出さない、「一般的な」ドラマ作品も手がけるようになっていく。

 それがある意味で結実したのが、77年にテレビ朝日で開始された土曜ワイド劇場である。1時間半(現在は2時間)という長時間ドラマのレギュラー枠は、従来の1時間枠では表現できなかった素材を要求しており、怪奇作品に限っても、オカルトものからスリラーもの、江戸川乱歩ものから通俗的な連続殺人ものまで様々な作品が放映される。

 円谷プロもここで巨大な蜘蛛が田口"東京エマニエル夫人"久美を襲う『怪奇!巨大蜘蛛の館』(78年)、『白い手美しい手呪いの手』(79年)、『怨霊! あざ笑う人形・危険な未亡人』(80年)、斉藤とも子に狐が憑依して、目を金色に光らせて超能力で小雁……もとい悪人を焼き殺す『怪奇!金色の目の少女』(80年)、高倉美貴が素っ裸になって生きたマネキン人形にされる『呪いのマネキン人形』(84年)などを製作し、円谷プロが指向してきた「怪談でない」怪奇ドラマが一つのジャンルとして広く定着するようになったのである。

 その他土曜ワイド劇場は、平田昭彦が部下の妻松原智恵子を犯そうとして殺されて地中に埋められる『悪霊の住む家』、題名そのままの『先妻の亡霊と戦う新妻』などを放送。『京都妖怪地図』シリーズは、田中徳三監督・渡辺岳夫音楽・三ツ矢歌子主演という凄まじい面々を揃えるが、最初の『900歳の新妻』はともかく、その後『400歳の氷女』『800歳の女子大生』『400歳の不倫女医』『900歳の美人能面師』『1200歳の美女VS霊感デカ』と、例によって例の調子となっていく。

●映画の人材と『日本名作怪談劇場』

 話は前後するが、昭和40年代に入り、映画の斜陽化が顕著になり、映画業界の優秀な人材が花形産業と化した映像メディア、TVへと多量に流入する。三隅研次・山本ミチ夫・田中徳三・中川信夫・佐藤肇……。これらの面々が、コンスタントに撮っている事が、うれしいやら悲しいやら。

 おしなべてTV番組(『水戸黄門』とか)は夏場になると怪談ものを製作。例えば佐藤肇は『キイハンター』で、中川信夫は『プレイガール』などで、己の得意とする怪奇映像世界を展開したほか、夏場には夏期1クール限定の怪奇番組が製作され、古典怪談が毎年のように放送されていた。

 その中で述べておかなければならないのが、宮川一郎だ。宮川は新東宝時代には『スーパー・ジャイアンツ』『地獄』といった作品の脚本を手がけ、本当にスキモノである。『日曜恐怖シリーズ』(79年・フジテレビ)、『幽霊に抱かれた女』(80年・テレビ朝日)、『新・四谷怪談』(87年・TBS)など、TVの怪奇番組への貢献は実に大きい。

 その宮川が企画したのが、女の情念、女の哀しみといった視点を中心に時代劇怪談=古典怪談だけで構成された『日本名作怪談劇場』(79年・東京12チャンネル)、全14本のシリーズである。映画ファンなら、ここで倉田準二監督作品の『怪談累ヶ淵』、中川信夫監督の『怪談大奥(秘)不開の間』当たりに注目するところだろうが、ここは筆者が見て「凄い」と感じた作品のみを紹介する。もっとも一番印象強いのは、牧野由多可の哀切感に満ちた音楽をバックに、雨の中濡れる石地蔵や笹の葉、水に沈む石仏など透明感溢れる映像に満ちたエンディングたが、それはさておき。

 苦悶して乱れた髪を梳いた岩の頭から何十本もの髪が抜け、血液が毛穴という毛穴から吹き出し、慌てて鏡を覗き込んで自分の変わり果てた顔に岩が悲鳴を上げた瞬間、ミラーハウスのような六面鏡の中で、白粉で顔を真っ白にした醜い岩が何度も絶叫するという場面が異様に怖い『四谷怪談』(監督貞永方久)、ピーターがざんばら髪で血まみれ顔、おまけに額にナタが刺さったまま迫ってくるわ、顔の右半分に傷を負って例の妖艶な流し目でニタ〜ッと笑うわ、スプラッターな『怪談鰍沢』(監督山崎大助、脚本笠原和夫)。

 『怪談利根の渡』(監督田中徳三)は、利根の渡しでひたすら野村彦右衛門という侍を待つ盲目の座頭治平(船戸順)の話。彼は以前仕えていた野村家で、虐待される野村の妻お徳(渡辺やよい)をかばったばかりに、両目を潰され、眼前でをお徳を殺されていたのだ。彼は鍼灸針を飛ばす技を鍛え続け、水中の魚の目玉に投げ刺すまでに至るが、病死してしまう。その直後の霧立ちこめる夜、眼病を患った野村彦右衛門がやって来る……。無名(但し原作は岡本綺堂!)かつ超低予算で製作された話だが、本シリーズ一の傑作。

 そのほかにも『怪談累ヶ淵』『怪談奥州安達ヶ原』『高野聖』といったロマンポルノ女優主演の作品があり、日本の怪談はエロとグロにありという、放送コードにあえて挑戦したような印象の作品が多々見られる。本作は、中川信夫・倉田準二・田中徳三・西山正輝といった監督が結集、新東宝末期に似た、一種の情念と怨念と血液と裸が画面を覆うゴールデンタイムとは思えない力作であった。

 いずれにせよ、本作をひとつの頂点として、映画界でもすでに衰退し始めていた古典怪談は、ブラウン管からも遠ざかって行く。

●怪奇が恐怖でなくなる時代

 東京12チャンネルは、やはり79年に『もんもんドラエティ』を放送。娘の石川ひとみとその恋人沖田浩之のカップルに翻弄される岸田森扮するドラキュラと辺見マリ扮する魔女の夫婦が出てくるこの作品は、2つの意味で、従来の怪奇番組が転換点に立っている事を象徴していた。1つは、和製ドラキュラ役者として認知されていた岸田森にドタバタを演じるマイホームパパドラキュラを演じさせ、従来の怪奇的存在をお笑いキャラクターにした事、そして番組中の1コーナー「お茶の子博士の怪奇劇場」である。ここではいじめられていた怪獣マニアの少年の怪獣人形が巨大化、いじめっ子や街を次々と踏み潰すが、最後はその少年も踏み潰される『怪獣の出てきた日』、題名は忘れたが墓場にゾンビが大量に出現して主人公の大学生グループを殺しまくる作品(↑新聞に投書が来る程の凄惨な内容だった)など、手塚真によるインディーズ的かつ優れた怪奇短編ムービーがレギュラーで流され、我々が「怪談」と聞いて思い浮かべるような作品はもはや過去のものになりつつあるという事を再認識させたのである。

 実際80年代に入ると、怪奇および恐怖という概念は大きく変わってくる。怪奇ドラマの中で、もはや情念や怨念といった存在は絵空事となり、「日常的な恐怖」というものが幅を利かせるようになる。

 そういった中で製作された『麗猫伝説』(83年・日本テレビ)は、ある意味で、古典怪談の幕引きを務めた作品であった。孤島の屋敷に住む、往年の美貌を保った怪奇女優をめぐる物語。あの入江たか子と入江若葉親子の共演に、『怪猫有馬御殿』などの化け猫映画の名場面が挿入されまくるという、スゴ過ぎる内容に加え、大林宣彦のオマージュ大爆発の、大林ファンなら大喜びの作品だった。

 さて映画でも『13日の金曜日』(80年)以降、超自然的な現象による恐怖よりも、いかに人体破壊を見せるかという点に重点を置いた作品が一世を風靡し、『スリラー』(82年)『死霊のはらわた』(85年日本公開)の快ヒットで、怪奇が恐怖でなくなり、恐怖が笑いへと転化される風潮は完全に定着する。スプラッター映画の興隆である。

 このブームを受けて製作されたのが『魔夏少女』(87年・TBS)である。冷淡な夫婦の間で思春期を迎えた少女(小川範子)が超能力に目覚めるという『キャリー』もどきのストーリーで、血がタラタラ流れるわ、三宅裕司の頭が爆発して血の噴水が見られるわ、TV番組としては相当過激な作品だったが、追随する作品は無く、和製スプラッターともいえるTV番組はこれ一本で終わっている。

 そして宮崎勤事件の発生で、シャロン・テートが殺されたからビートルズの歌を禁止しろというような低いレベルから、怪奇というジャンルが弾圧されるようになり、一時期TVからは怪奇のかの字も無い状態が続く。

●90年代の遊びとしての怪奇番組

 しかし怪奇が毒を抜かれ、日常的な作品に変化しつつある時期故に、即物的な恐怖から深奥心理に訴求する恐怖が台頭し始める。それと前後して、80年代後半からフォークロア的なものが、流行の兆しを見せ始めるのである。「花子さん」などに代表される「学校の怪談」ものは、その典型である。

 こういった、怪奇的要素を内包しながら怪奇番組に見えない作品の普及に貢献したのが、フジテレビである。

 深夜枠の『奇妙な出来事』で、儲け話の為に自分の指を賭けるハメになる男など、『ミステリー・ゾーン』や『予期せぬ出来事』を連想させる作品が好評だった同局は、ゴールデンタイムにオムニバス番組『世にも奇妙な物語』を送り出す。ホストにタモリを起用した本作は、当時の人気タレントを続々と起用、大好評を博し、『本当にあった怖い話』(テレビ朝日)などのエピゴーネンも生む。ほんの少し前まで、中堅俳優やピンク女優が目立ったマイナー怪奇番組とはえらい違いである。思えば『羊たちの沈黙』がアカデミー作品賞を受賞したのもこの頃。90年代に入り、もはや恐怖は日常の隣人となり、トレンディ感覚(笑)で接することができるようになっていたのである。その後もフジテレビは『怪談 KWAIDAN』などの本格派の古典怪談を製作するが、本道は有名タレントによるソフト怪談路線であり、95年の『木曜の怪談』シリーズは、願い事を魔神にかなえてもらう女子高生や、パソコンキッズや安達祐美が跋扈するジャリ路線を走って行く。

 これらの最近の作品は、「怪奇とはこういったもの」といったメタファーが散りばめられているだけで、70年代以前の情念といったものが全く感じられない。その情念とは何か。筆者は、主人公=被害者と、襲い来る者=加害者をつなぐものだと定義したい。例えば殺人という通常ならざる行為を我々一般の人間が故意に行うには、それ相当の覚悟と理由、そしてそれらに裏付けられた怨念があるはずだ。その場合、逆に相手も、それだけの怨みを買うだけの行為をしたという認識と、殺されても仕方が無いという恐怖があるはずである。

 怪奇番組で演出がこういった部分まで分け入り、観客が加害者と被害者の絶つ事のできぬ関係を見せられ、人間の欲望と怨念の底知れぬ深さに絶望し共感した瞬間、眼前で繰り広げられる怪奇現象が我が事のように「体感」できるのである(逆にそれらを意図的にぼかす事にして恐怖感を煽るという手法もあるが)。

 そういった点のメリハリが稀薄であればある程、怪奇は表層を装飾し、視覚的な恐怖やコケ脅しが浮き立ってくるのだ。しかしただの小僧が金欲しさに平気で人殺しをする時代に、情念云々というのは、逆に絵空事にしか過ぎないのかもしれない。怨念に満ちた作品より、視聴者の日常感覚に訴える作品が好まれるのも、事実だ。『X−FILES』や『学校の怪談』のように、怪奇はもはや共同体験的な遊びになっているのだ。

 無論最近の怪奇番組から、TV畑の人材が育ちつつある事も事実であり、決してこれらは否定されるべきではない。現実に今年『女優霊』(WOWOW)というマジで怖い佳作をものにした中田秀男のような才能も登場しつつある。まだまだ怪奇番組は、その時代に即して形を変えつつも、転んで行くのである。


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