−悪趣味まんがチャンピオンまつり−

 よい子の皆さんに贈る云々なんて予告編にはうたっているけれど、窓口のおばちゃんが「あんた悪い子だから帰れ」なんて言うわけない。中学2年生の時に有楽町に映画観に行ったとき、子ども料金で観ようとしたら、「年いくつ」「何年生まれ」「干支はなに年」と詰問されたことはあったけれど。よい子と、まさか一人で行かすわけにも行かないから仕方なく付いてくるお母さんで大人一人子ども一人の入場料金、さらに貪欲な子どもが欲しがるジュースにお菓子、パンフレットにキャラクターグッズの山々に搾り取られるお金が目当てなんでしょ。これじゃ、ゴジラや寅さんと並んで、盆暮れ春休みの稼ぎ頭が、いつまでたっても「ドラえもん」「ドラゴンボール」というのも納得がいくというもの。

 でもまあ、ここらへんはマーチャンダイジングに基づいてマンガは人寄せパンダと割り切っているから、ある意味では潔いものです。そこではマンガはマンガという枠の中に閉じこめられつつ、インテリの冷笑に、「へっ、どうせこちとらたかがマンガ映画さ」と開き直っているからです。

 今回ここで取り上げるのは、マンガをマンガらしからぬ処理、つまり線の固まりであるところのマンガを生身の人間を置き換えて、「一般の鑑賞にも耐えるゲージュツ的作品」にしようとか、アニメ映画というものがまだ一般的でなかった時代のため、「人気マンガを題材にして人気タレントを起用して、とにかく客を呼べる映画にでっちあげちまえ」とか、「こんなのアニメにして、間違えて子どもが観てしまったら問題ザンス」というような、人間によるマンガのための映画、平たく言えばマンガの実写映画を中心に取り上げます。

 それにしても、実写化されたマンガの映画というのは、揃いも揃って短命です。シリーズ化されているのは、ほっといても客の入ったプログラムピクチュア時代のものを除くと、西田敏行の「釣りバカ日誌」や西条秀樹の「愛と誠」など、意外と少ないものです。どいつもこいつも、TVの実写版「鉄腕アトム」よりも短く、一発屋の宿命をたどっているのです。

 もっともプログラムピクチュア全盛の時代の作品ながら、いまだ語り継がれている作品、江利チエミの「サザエさん」シリーズとて、いまとなっては変といえば変です。一作目はサザエさんがマスオさんと出会ってのすれ違いメロドラマ、そしてその後結婚、タラちゃんの出産とシリーズが続いて行くわけですが、芸達者のチエミに合わせたのか、当時の風潮だったのかはわかりませんが、一作目はのっけからサザエさんがドレスアップして歌い踊る夢想シーンから始まり、ダーク・ダックスが町中やサザエさんの家で♪サザエさんたらサザエさん〜、という調子でほとんど脈絡もなく出てきて場を盛り上げます。ワカメちゃん役の松島トモ子やマスオさん役の小泉博が右往左往するのも見物ですが、やはり少ない出番ながら、ノリスケさん役で、なごやかな空気を緊張させる重厚な演技を見せる仲代達矢が要チェックです。

 1970年代に入ると、映画の製作本数自体の減少と共に、各社もさすがに安直なマンガの映画化の企画は減ってきますが、それ故に力の入った珍作が出てきます。

 「ドカベン」「ドーベルマン刑事」「ゴルゴ13」「同九龍の首」「サーキットの狼」など、まあ、華やかなものではありませんか。しかし70年代なら、やはり暗くてエグい作品がお勧めです。

 といわれて思い浮かぶのが、社会問題化したマンガを語る時に永井豪の「ハレンチ学園」(映画では、ミッキー安川が柳生みつ子の母親を和服姿で演じています)と共に欠かせない、ジョージ秋山の「銭ゲバ」です。ジョージ秋山といえば、最近は「恋子の毎日」「ピンクのカーテン」といった軽妙なマンガの映画化が目立ちますが、昔は社会の矛盾を露悪的に描いた、真摯な作品が多かったのです。銭がないばかりに母親を死なせてしまい、金の亡者となった主人公の醜い片目の小男銭ゲバを、若松孝二作品で売り出していた唐十郎が、殿馬のようなズラズラしゃべりで演じています。彼はまず、運転手として大企業の社長に近付きます。片目で運転手という職業に就いていいのでしょうかという疑問はさておき、そこの身障者の次女との婚約が決まって突然態度がでかくなり、くわえ煙草で「灰皿!」と怒鳴る男(岸田森)を真っ正直に灰皿で撲殺、まんまとその後釜に座ります。そして社長も殺して会社を乗っ取ると、最初から狙っていた長女を強姦し、秘密をかぎつけた自分の父親を殺し、用済みの女房を殺し、そして最後は長女と彼女が密かに産んでいた自分の子どもを殺して、ひたすら銭のために邁進していくのです。資本主義の必然、エー・イッソ・アーイ!という原作のストーリーをそのままなぞった映画なわけですが、いままでカルトかつ玄人受けする映画で活躍していた唐十郎がメジャーかつ素人受けする映画で主役を張るのはともかく、女犯して人を殺している役では結局同じなばかりか、「美少年」から醜男になったぶん、損な気もします。まあ、バコバコする相手女優が無名女優から、「盲獣」で盲目になって体をバラバラにされて死んでしまう女を演じた緑魔子であった点が、ステップアップだったのかもしれませんが。原作マンガはその後まだまだ続きますが、映画は唐の歌う♪真実一路〜というフレーズが印象的な主題歌をバックに放心状態で海岸をさまよう唐十郎の姿で終わります。

 貧乏を売り物にした映画では、松本零士原作の「元祖大四畳半大物語」もあります。上京した直後に就職先の会社が倒産、東京で貧乏の極みを体験する足立太の物語は、読んだことはなくてもご存知でしょう。主役に抜擢されたズブの素人山口洋司は、確かに眼鏡で情けないという主人公の姿は再現していますが、短足ガニ股、チビで貧乏という原作のキャラクターを演じることはあまりプラスにはならなかったらしく、その後名前を聞きません。にっかつはほかにも「嗚呼!花の応援団」の青田赤道役(シリーズ3作ともすべて違う人です)や、マンガじゃないですけれど「ファイナルスキャンダル・奥様はお固いのがお好き」で五月みどりの相手役を東京六大学学生から一人ずつ選んだりと素人をよく主役に起用していますが、みんなどこに行ってしまったのでしょうか。金子修介監督の「みんなあげちゃう」でデビューしてヌードになった浅野なつみや、ロッポニカ時代にこれまたマンガではありませんが「ひぃ ふぅ みぃ」で公募した「ほほえみマドンナ」三人の一人、藤本聖名子がAV嬢を経てストリッパーに進出したのが目立つだけでは、ちと悲しいのですが。同じアパートに住む気のいいヤクザが前川清というのはともかく、その同棲する自殺未遂の過去のある女を篠ひろ子が演じていて、黒シュミーズ一丁で無表情にうろつき回っている姿は寒々しいものがあります。そして足立のマドンナでお嫁に行ってしまう清純な娘を、松本ちえこが演じているのはオイオイな感じです。しかしお嫁に行ってしまった彼女は数年後、「夕ぐれ族」でにっかつに再び戻ってきます。

 「元祖大四畳半大物語」とくれば次は上村一夫原作で由美かおるの振り向きヌードが若人の股間を奮い立たせた「同棲時代」と行きたいところですが、ここは裏をかいて同じ作者の「修羅雪姫」に参りましょう。時は明治時代、刑務所で自分を産んだ母親の怨みを晴らそうと、日本刀一本で仇を斬り殺しまくるお雪の物語です。主役は当時「さそり」で人気絶頂の梶芽衣子、監督は藤田敏八。映像は美しく、これだけなら「さそり」の良くできたエピゴーネンで終わるところなのですが、二作目の「修羅雪姫・怨み恋歌」は、横内正の「屍をつみかさねなば」を歌いたくなるほど、陰惨な内容です。警察に捕まったお雪は命と引き替えに、警察の悪事の証拠を奪うためにアナーキストである作家の家で働く事を命じられます。当然お雪は裏切りますが、警察は作家を逮捕し、拷問にかけます。作家を演じる伊丹十三はここで岸田森に熱湯をかけられたり指の骨を折られたりして、「女囚さそり・701号怨み節」で取調室で刑事に股間に熱湯をかけられてチンポがドロドロ、性的不能者にされた田村正和のようなリンチにかけられます。そして道端に捨てられてようやく解放されますが、それをみた弟で医者の原田芳雄(なんと濃い兄弟でしょうか)は、慌てて彼を家の裏の物置に隔離します。そうです、警察は伊丹にペスト菌を注射して釈放したのです。やがて伊丹はドリフのコントのように真っ黒けになって死んでしまいますが、岸田は証拠隠滅のために、伊丹のいた貧民窟に火をかけて、ついでに住民も焼き殺してしまいます。生き残った梶と原田はもちろん岸田に復讐して映画は終わるのですが、この後味の悪さはどうしたものでしょう。

 後味の悪さという点では、今読むとどこが面白かったのかわからない、古谷三敏の「ダメおやじ」でしょう。末期はペーソスとウンチクの説教臭い物語になってしまいましたが、うだつのあがらないサラリーマンであるダメおやじを、女房の鬼ババと子供たちが金槌で殴るわ釘を頭に打ち込むわでいじめまくる物語が映画化されると聞いて、狂喜したファンも多いことでしょう。そう、日本にも「処刑軍団ザップ」や「ソドムの市」を超える超残虐映画が誕生する事が約束されたのです! しかし映画は三波伸介演じるダメおやじとそれを昇進させようと励ます妻(倍賞美津子)の物語になり、最後左遷が決まって一人列車に乗ったダメおやじに、妻子が結局付いてくるという、成瀬巳喜男作品のような人情喜劇に成り下がってしまいました。期待のバイオレンスシーンも、倍賞美津子がホウキで三波伸介を叩いて追っかけ回す程度です(これはこれでデブ専&スパンキングマニアは大喜びかもしれませんが)。これは監督の野村芳太郎よりも脚本家に問題のあるところですが、大丈夫です、彼が今リメイクしたならば、きっと素晴らしい作品になるでしょう。なぜならば脚本を担当したのは、最近夫婦間の酸いも甘いも知り尽くさせられる事になったジェームス三木なのですから。

 トラブルといえば思い出されるのが、自ら「トラブルメーカー」という歌を歌っていた南野陽子主演の「はいからさんが通る」「スケバン刑事」、そして続編で浅香唯主演の「スケバン刑事・風間三姉妹の逆襲」「YAWARA!」などがありますが、最近女子大生になった池田理代子原作の「ベルサイユのばら」も映画化されています。フランス革命前夜の時代、マリー・アントワネット王妃と男装の麗人で近衛隊隊長であるオスカル・ド・フランソワの物語は当然日本国内で日本人役者で映画化するわけにもいきませんので、外国で撮影、キティ・フィルム、東宝、日本テレビ、資生堂が出資する大作映画になりましたが、どのような結果に終わったでしょうか。ちなみにキティではこの映画と「だいじょうぶ、マイフレンド」の話は禁句という噂を聞いたことがありますが。どうみても女にしか見えないオスカル役のカトリオーナ・マッコール(彼女はその後ルチオ・フルチ監督のホラー映画などに出演しているようですが)、王政への不満が高まった市民の暴動が始まった時点でアンドレが撃ち殺されてジ・エンドというお話は不満だらけの代物でしたが、まあ、監督が「シェルブールの雨傘」のジャック・ドゥミなので、たぶん文句を言う私が愚かなのでしょう。

 ただ、原作を無視、というより大改造して似て非なるものにするのにかけては、やはり東映の得意とするところです。この峰竜太が竜雷太になるような現象は、一大ムーブメントを巻き起こし、ある意味で70年代を代表する名作となった梶芽衣子主演の「女囚701号・さそり」や、杉本美樹主演の「0課の女・赤い手錠」のような、原作をはるかに超越した大傑作を生み出すこともあります(別に両方の原作である篠原とおるのマンガがつまらないと言っているわけではありません)が、たいていはトホホな作品になっている場合がほとんどです。

 その首領格なのが、鈴木則文監督の作品です。「ドカベン」「伊賀野カバ丸」「コータローまかりとおる!」「ザ・サムライ」などがありますが、このなかで特に暴走が顕著なのが「伊賀野カバ丸」で、原作は山奥から上京してきた忍者の末裔で、幼稚・大食・野蛮なカバ丸が巻き起こす騒動の物語です。カバ丸を演じたのは「巨獣特捜ジャスピオン」で主役を演じた黒崎輝で、ライバルの美少年沈音を腰まであろうかという長髪姿で真田広之が演じています。このコンビ、しかも企画が千葉真一とあっては、もう方向性が決まったようなもので、ある意味で心温まるラブコメ学園喜劇は、大食い競争といった「TVチャンピオン」レベルの戦いから、あれよあれよという間に大アクションシーンの連続となり、カバ丸が爆走する自動車の天井にしがみついて競争するなどの、JAC主催のスタントマンコンテストになってしまうのです。そのほかの作品もなーんか違うだろ、という感じがあふれており、「トラック野郎」シリーズでマンガ的な演出を得意とする鈴木監督も、マンガ自体の映画化は苦手なのか、それとも現実的な素材にはマンガ的要素を、マンガという素材には映画的な見せ場というように、異なる要素を意欲的に盛り込んで観客の意表を突こうという職人気質が裏目に出てしまう不運の人なのでしょうか。単に企画ものには流されてしまうだけの人、という捉え方もできますが。ちなみに「カバ丸」で黒崎輝の野蛮さ(スケベさ?)に嫌悪感を示す純真な夢見る女子高生を演じているのが、巨乳オナペットこと武田久美子なのも、今は昔です。

 そのわずか二年後、武田久美子が不良学生の情婦で、カーリーヘアのスケバン姿で登場するのが、「ビッグ・マグナム黒岩先生」です。監督は「空手バカ一代」「ウルフガイ・燃えろ狼男」であらゆるキャラクターを千葉真一そのものにしてしまった、鈴木則文と並ぶ名物マンガ映画監督山口和彦です(もちろんお二人ともそれだけの人ではないのですが)。この映画でも、懲りずに黒岩先生を横山やすしそのものにしてしまっています。まあ、この映画が作られた1985年当時は、息子もタクシー運転手を半殺しにするようなことはしておらず、やっさんも暴れん坊のイメージをもちつつ、子供の教育の仕方と理念を得々としゃべっていた時期なので、黒岩先生のキャラクターと混同しても問題ないと勘違いする人もいたのでしょうが、原作の寡黙で必要以外には非暴力を貫く黒岩先生を、ただ大阪弁でわめきまくる、うるさいだけの武装教師にしてしまったのは、もはやちわきまゆみがちあきなおみになるぐらいの状態です。もっとも校庭でマグナムをバコバコ撃ちまくるわりに、死傷者がほとんど出ないのは、原作通りと言えるかもしれませんが。

 同じ事は諸星大二郎の「妖怪ハンター」を映画化した、塚本晋也の「HIRUKO 妖怪ハンター」にも言えます。日本各地で古代伝承・神話に基づく妖怪と対決する羽目になる異端の歴史学者稗田礼二郎は、黒い背広と長髪、ちょっとニヒルな感じのする暗い男なのですが、映画ではなにかあるとすぐに慌てふためく、気の弱いさえない中年男沢田研二になってしまっているのです。映画自体は唇に取りつく妖怪の話と地下に蠢く蛭子の軍団の話と、原作で悪夢のように印象強い二つの話をミックスしたものとなっています。原作では時空の歪みによって蛭子と人間が合体した怪物が出てきますが、映画では、蛭子に襲われた人間は首が胴体から離れて、側頭部から蜘蛛の手足が生えたような蛭子になってしまうという設定を追加、人形アニメで襲いかかる蛭子と電気棒や殺虫剤で逆襲する沢田研二の戦いという、古代神話や祭ろわぬ神のロマンの微塵もない、単なるジュブナイル版「遊星からの物体X」になってしまいました。本作で竹中直人が蛭子に扮し顔に甲殻類っぽい脚をはやして叫んでいるのを細かくご紹介しようと思いましたが、彼はCMでケンタウロスに扮していた事もあって意外性に欠けるので、やめときましょう。個人的には畳みかけるような演出と鈍色を基調にした絵づくりを見せる塚本節が見られる佳作だと思うのですが、いかがなものでしょうか。ちなみに蛭子に取りつかれる美少女役に、「思いっきり探偵団覇悪怒組」の紅一点ヤスコを演じていた、上野めぐみが出ています。

 ビデオ「巨乳ハンター2」の中島ひろ子主演で吉田秋生原作の「櫻の園」を映画化、各賞を総ナメにした中原俊監督は、マンガ映画をもう一本、木村一八が車と女の尻を追っかけ回す「シャコタン・ブギ」も撮っています。「櫻の園」で見せた半リアルタイムかつ複数のドラマが同時進行する撮り方がすでに行われていて、手堅くまとまった作品です。

 さて、マンガのキャラクターと映画のキャラクターのギャップも問題ですが、それ以前にマンガを映画化する際に製作者が頭を抱える(はずな)のがマンガのキャラクターの外見と実際に演じる役者のギャップです。「名門!多古西応援団」の我王銀次のようにサングラスをかけている、「押忍!空手部」の松田勝みたいに実現可能な特徴ある髪型をしているなど、顔以外のものに特徴のあるキャラクターを演じる俳優ならごまかしはききます。

 ビデオアニメ化作品の好調に気をよくして劇場映画化、見事に予想通りの興行結果に終わった「湘南爆走族」など、原作の赤巻髪青巻髪黄巻髪さえ合ってれば、後はええやんという感じです。今観ると、タケノコ族の踊りを見ているような気恥ずかしさを感じるのは、仕方のないところでしょう。「愛と誠」の早乙女愛役でデビューしたから早乙女愛、TV番組ですが「天下一大物伝」の無双大介役でデビューしたから無双大介というように、ここでも江口洋介役でデビューしたのが江口洋介で、紫色のヤンキーヘアの手芸部の部長を演じています。ちなみに本作は無名時代の織田裕二が茶髪で出演していることでも有名ですが、この映画で共演している杉浦幸とは、テレビ東京の日光江戸村ロケの30分時代劇シリーズ第二弾「風雲!江戸の夜明け」でもコンビを組んでいました。映画の冒頭で、噂の刑事ならぬ警官役でトミー&マツが出て来るのも、ファンには見逃せないところです(そんなファンいるか)。

 同じように、「ビー・バップ・ハイスクール」は、ツッパリのトオル(仲村トオル)とヒロシ(清水宏次郎)はの原作にそっくりの顔をしています。マドンナ役の今日子の中山美穂はもうそのまんま、という感じですが、これは最初から今日子が中山美穂に似せて描かれていたと考えた方が自然です。実に、ベリベリハッピーな、マンガと俳優の出会いです。映画自体も那須博之がキレの良い演出を見せて、水準以上の作品が連発される人気シリーズになりました。もっともこのシリーズは「機動刑事ジバン」の間下このみのように中山美穂が早々にいなくなり、また、ヒロシが最後まで出てこない話など、シリーズ映画の難しさを感じさせる作品でもありましたが。ちなみにスタッフ・キャストとも総入れ替えで、原作者のきうちかずひろ自らが監督した「BE BOP HIGHSCHOOL」は、それまでのヌルいムードや女っ気を極力廃した、緊張感あふれる作品です。もっとも何十人ツッパリが出てきて睨み合っても、最後はタイマン勝負でジ・エンドというのは変わりませんが。

 しかしいつもいつも、マンガのイメージがスクリーンに再現されるわけではありません。たとえば「あしたのジョー」で矢吹丈を演じた石橋正次などに見られる、実現不可能な髪型などの特徴を持ったキャラクターを演じさせられた俳優はイメージが違うと文句を言われる運命にあります。そういう意味では水島新司原作の「ドカベン」で山田太郎を演じたただのデブ、「高校生無頼控」シリーズの沖雅也と大門正明、「翔んだカップル」の薬師丸ひろ子など、逆に特徴のないキャラクターだと「この人がそうです」といわれればそんなもんかと納得してしまうものです。しかし七三ヘアの二枚目なら誰でもいいだろうと、あまりにもビッグなトシちゃんを起用した「課長島耕作」だけは、さすがに狙いすぎなのがミエミエで、非難ごうごうというか、失笑の嵐でしたが。宅間伸がいなければ、今頃原作の島耕作も巻き添えを食って、人前で買うのが恥ずかしい書籍になっていたかもしれません。それは石原真理子主演の「めぞん一刻」にもいえることです。

 もっとも、なかには「らしさ」さえあればはまってしまう場合もあり、「野球狂の詩」で水原勇気を演じた木之内みどりなどはいい例でしょう。この映画は似ていなくても似ているキャラクターがけっこう出てきて、小池朝雄の岩田鉄五郎や、阪神のパワーヒッター力童(?)を演じた丹古母鬼馬二など、いい味を出しているのですが、いかんせん、水原のドリームボールが完成しないまま映画が終わってしまうという、大リーグボールの出てこない巨人の星のような突き放した作劇に頭を抱えた人も多いはずです。いえ、だからといって、斉藤由貴の水原勇気と伊東四朗の岩田鉄五郎が見られる月曜ドラマランド版が良いとは思いませんが。月曜ドラマランドといえば、赤星昇一郎の子泣き爺ぃと夏樹陽子のぬらりひょん、由利徹の砂かけ婆ぁと竹中直人のネズミ男が見られる実写版「ゲゲゲの鬼太郎」、原真祐美の「てんてん娘」が観たいのですが、どうでもいいことですね、すいません。

 また、石坂啓原作の「キスより簡単」のまあこを演じた早瀬優香子も、まあこの考えをフキダシと文字でそのまま画面に表現するという「地球攻撃命令・ゴジラ対ガイガン」のような、若松孝二の硬軟使い分けた演出と小水一男の脚本に支えられ、原作以上に魅力的なキャラクターになっていました。もっとも監督の視線は、早瀬優香子を通り越して共演の原田芳雄に行ってしまっている感じでしたが。そういう意味では、「バタアシ金魚」は映画自体の出来とは別に、最近中身を大公開してくれた高岡早紀の水着姿の方に観客の視線が行ってしまったのとどっこいどっこいでしょう。

 しかしキャスティングの妙を味わえる最高傑作といえば、「ルパン三世・念力珍作戦」です。アニメ版の劇場映画第一作「ルパン三世(ルパンvs複製人間)」より先走ること4年、実写版として登場したこの映画は、ルパン=目黒祐樹、次元=田中邦衛、峰不二子=江崎英子、銭形=伊東四朗という布陣を見せてくれました(五右衛門は出てきません)。揉み上げもセクシーな目黒祐樹が上から下まで白のスーツに身を固め、峰不二子の尻を追っかけたり、伊東四朗と早回しのドタバタ追っかけをしたりしますが、映画自体はおそらく史上まれにみる退屈さとつまらなさに満ちた駄作です。これ目当てでわざわざ買いたくもない劇場版ルパン三世シリーズのLDボックスを買った私は、マジで泣きました。いや、天国で山田康雄先生も泣いているでしょう。

 キャスティングのみが笑えるという意味では、手塚治虫原作の「ブラックジャック」を宍戸錠がふくよかホッペでプリティに演じる、「瞳の中の訪問者」もなかなかです。あ、でも、こちらは志穂美悦子のミニスカ太ももテニスルックが見られる分、いいかな。TVの「加山雄三のブラックジャック」も観たいところだけれど。閑話休題。監督の大林宣彦は、その後楳図かずお原作の「漂流教室」も映画化しますが、文明の崩壊した未来世界へ小学校ごとタイムスリップ、飢餓と伝染病、怪生物と内ゲバに苦しみ、果てはカニバリズムに直面する小学生達の姿を正面から描いた原作を無視、設定をアメリカンスクールに設定し、愛と友情の素晴らしさを強調する学芸会映画に仕上げてしまいました。ちなみに砂漠の大空に、主人公の母親の三田佳子の笑顔がアップで浮かぶ場面は、背筋が寒くなります。

 さて、子供向けの作品が続いたので、今度は大人のマンガに参りましょう。だからといってクレージーキャッツの「おとなの漫画」はやりません。期待しないように。しかしあらかじめ言っておくと、「ハロー張りネズミ」「まんだら屋の良太」「独身アパートどくだみ荘」「俺の空」「性狩人」はページの都合で、パスします。ファンの方、ごめんなさい。

 大人向けといえば、劇画。劇画の映画化では小島剛夕/小池一夫原作で若山富三郎が拝一刀を演じた「子連れ狼」シリーズが有名ですが、人の手足が飛ぶわ血の噴水が見られるわ、TVでノーカット放送するのはためらわれるようなサービスぶりです。第6作目「子連れ狼・地獄へ行くぞ!大五郎」では、乳母車にソリを付けて雪山を滑っていた子連れ狼の前に、柳生烈堂率いる柳生忍群数十人が全員スキーを付けて登場、尾根から一斉に滑り降りてきて襲いかかってきます。なかにはコサック帽を被っている忍びもいて、もしかしたらロシアが攻めてくる前の江戸時代には、忍びの里が千島列島や樺太にもあったのかと考えたくなります。しかしここまで劇画タッチで作り上げた子連れ狼のハードな世界を見事にぶち壊してくれたのが、田村正和主演の「子連れ狼・その小さき手に」です。あの乳母車が出てこないのはともかく、これ以上はないというぐらい悲痛で哀しみに満ちた音楽が流れる中、田村正和は人を斬り殺す度に、「む。むむむ。むーむーむーーーー、訳があるんです」と言ってはいませんが、目をつぶって眉間に縦皺を寄せてたっぷりと時間をとって哀しみの余韻を表現してくれるのです。疲れます。おまけに過去、西村晃や佐藤慶が白髭白長髪を付けて、苦労して演じていたサンタクロース顔の柳生烈堂を、仲代達矢は見事に無視、ほとんどノーメイクのただの精悍な中年おやじの姿で、演じているのです。鞍馬天狗といえば大仏次郎が何と言おうと嵐寛寿郎というように、原作者や正和ファンが何と言おうと、子連れ狼は錦ちゃんか富ちゃんが一番です。

 ちなみに富ちゃんの兄貴の勝新太郎は、「唖侍」で有名な神田たけ志の劇画の映画化である「御用牙」シリーズで、チンポを武器に犯罪を解決する同心を演じています。チンポを武器にするといっても、別に「けんかえれじい」で学生服の高橋英樹がチンポでピアノを弾いたような荒技を見せるわけでなく、毒婦や悪人の仲間の女を巨根で攻めるんだか責めるんだかして、口を割らせるといったレベルのものです。もっともそのために、チンポをそのまんまの形の穴の開いた板にはめて上からゴツンゴツンと叩いたり、重りを下げて振り回すような特訓をしているようですが。

 さて、話をエロ劇画に移しましょう。石井隆の「天使のはらわた」シリーズはすっ飛ばして(3作目の「天使のはらわた・名美」の、死体置き場でのセックスを観たい人もいるでしょうが)、ここは未だビデオアニメ化や小説化が続くなどマニアの人気が高い、佐藤まさあき原作の「堕靡泥の星・美少女狩り」でしょう。凶悪犯(山本昌平)に大学教授の夫の眼前で強姦された女性から生まれた主人公が、母を責めて自殺に追い込んだ父親を殺して莫大な遺産を手に入れると、次々と高慢ちきな女を監禁しては調教し、人間の虚飾と尊厳をズタズタに破壊していくというものです。しかし勘違いしてはいけないのは、これは1970年代に作られた作品なのです。飛鳥裕子が女子高生に扮し、谷ナオミが若妻を演じていた時代なのです。トウの立ったアイドルやバタくさい女学生を責めても、こちらはしらけるばかりです。おまけに新人で、主人公の婚約者で純粋無垢な令嬢を演じる波乃ひろみ(元ミス日本って、本当ですか?)が宮下順子を若くしたようなルックスで「おにぃちゃまぁ」なんて囁いているのをみると、「この子の七つのお祝いに」で40歳を越えた岩下志麻が見せたセーラー服の女学生姿で興奮しろと言われているようなもので、ガックリきてしまいます。ちなみにこの映画の監督はまたもや鈴木則文ですが、当然?菅原文太が星桃次郎役でチョイ役出演していますので、文太兄ィのファンは要チェックです。

 意外なキャスティングといえば、東京乾電池総出演の「Mr.ジレンマン・色情狂い」でしょう。原作は「喧嘩道」などが映画化されている、笠太郎によるもので、「ペーパーコミック・漫友」という漫画だけの駅売り新聞のようなものに連載されていた、幻の漫画です(詳細は知らないし実際に読んだこともないのであまり偉そうな事は書けないのですが、確か当時の週刊誌に例の「××するだけで月収××万!」という感じで漫友のフランチャイズを募集する広告が載っていて、そこにジレンマンの漫画が印刷されていたのです)。映画の中にも朝霧友香が単行本を読んでいるのが映っていましたが、もし読者の中でお持ちの方がいらしたら、ご一報ください。物語は女狂いの部長(高田純次)と意地の悪い部下(ベンガル)と妻子(「未亡人下宿」シリーズの橘雪子、朝霧友香)にいじめまくられる主人公(柄本明)が、会社の壁に掛かっていた奇怪な仮面を付けて精力絶倫のスーパーマンことジレンマンに変身するが、正体を知ったベンガルが偽ジレンマンに変身、柄本の家族を危機に陥れるというものです。行きつけの飲み屋に会社の連中に押しかけられ、好き放題に暴れられている柄本が芸を求められ、陰気に♪は〜るを愛するひ〜と〜は〜と歌い出すとか、偽ジレンマンが朝霧友香を強姦しようとした瞬間柄本明が飛び込んで来たので、自分の股間を朝霧の股間に突きつけて「寄るな!寄らば刺すぞ!」とか、とにかくオゲレツかつ場当たり的なギャグが連発されます。最後は柄本と偽ジレンマンが対決、三輪車競争、射精の距離比べ、尻で電球を輝かせる(?)、そして海岸での武蔵と小次郎を気取った決闘をするなど、タケチャンマンの元祖はここにありという暴走ぶり、操行ゼロぶりを発揮します。ちなみに監督は小沼勝、脚本は荒井晴彦(現映画芸術誌編集長)という、当時のにっかつの精鋭が揃っていますが、これだけの陣営を揃える意味があったのか、お二方は「ウォータームーン」の監督を引き受けた工藤栄一のような気分になっているのではないかと思います。

 ロマンポルノで忘れていけないのは、1979年の「高校エロトピア・赤い制服」です。映画研究会のアホタレどもが高校の文化祭でブルーフィルムの上映を計画、風戸祐介(「大奥浮世風呂」でエロ坊主汐路章にオカマを掘られる若い修行僧を演じていた方といえばわかるでしょうか)といちゃつくマドンナ役の原悦子を横目に女優探しに狂奔するというストーリーで、はい、原作は「任侠シネマクラブ」、「SHUFFLE」や「AKIRA」より早い、大友克洋作品最初の映画化作品なのです。

 番外として、「こちら葛飾区亀有公園前派出所」のせんだみつおの両津巡査の話は無視して、「宇宙怪獣ガメラ」のこち亀のお話を致しましょう。この映画はマッハ文朱がレオタード姿の宇宙人を演じていたとか、♪戦えガメラ〜愛するもの〜のためにゆけ〜などという主題歌を歌っていたとかが話題ですが、ベヤングソース焼きそばビッグだよおやじ(名前は知らんわい)扮する両津巡査(?)が出てきます。彼は予告編で、ガメラを見て「ビッグだね〜」と、今子供が観たらわかるかな〜わかんね〜だろ〜な〜ギャグを飛ばしてくれます。しかしもっとすごいことに、この映画では宇宙から地球に帰ってきたガメラがアニメの宇宙戦艦ヤマトとすれ違うという、騎馬民族説を前面に押し出してその筋の人が激怒するような内容の「火の鳥」と同じく、アニメと実写の合成を唐突に行っているのです。ついでに銀河鉄道999も出てきます。

 そのほか「惑星ロボダンガードA・昆虫大戦争」を石井輝男が監督していたとか、劇場版「科学忍者隊ガッチャマン」を岡本喜八が総指揮していたとか、赤塚不二夫が原案・主演したロマンポルノ「気分を出してもう一度」など、話題は尽きませんが、劇場版として力の入った楽しいマンガ映画は最近減って、ビデオやTVムービーもどきのお手軽作品でお茶を濁されているような気がします。東映さんにここは期待がかかるところですが、「北斗の拳」を外人で映画化しているようでは期待できません。むしろデニス・ホッパーをクッパ大王役で出演させた「スーパーマリオ」や、ヴァン・ダムやラウル・ジュリアを動員した「ストリートファイター」のような、ゲーム映画の方が期待できるかもしれません。私としては、望月あきらの「カリュウド」とかどおくまんの「熱笑!花沢高校」とかを十年後に大化けするような新人俳優で映画化してほしいのですが。


※この原稿入稿後、吉野公佳の「エコエコアザラク」などについて加筆されたが、手元にテキストが残っていないので、さらに詳しくお読みになりたい方は、本をお買い求めいただきたい。また、同じ本の他のページで触れるとの編集部の要請で、鈴木則文監督や「女囚さそり」シリーズについてほとんど触れられていないのが、今もって残念である。


Back to A-Room

Back to HOME