−「後楽園で僕と悪趣味!」−

 私が好きなおマヌケな映画というのは、たんに「ヤバイ映画」、あるいは「発想は良かったんだけどねぇ」とか「意欲は認めるんだけどねぇ」とか、ワンポイント豪華主義が見事に開花せずにツボミのまま終わってしまった、魅力的な要素を持ちながらも完全にハズしてしまった映画などです。ですから、題名の後楽園どころか谷津遊園もこの項には出てきません。ハズレもハズレ、南海の孤島から始まります。

 といえば、新東宝の「女奴隷船」です。戦時中,青年将校菅原文太の乗る飛行機が海上に墜落,彼が助けられた船は、数十人の日本人女をアジアに売りに行く奴隷船でした。ここまで聞いて、「ははぁ、正義感あふれる文太が船内という閉塞空間で悪党どもと戦う、緊迫した密室アクションドラマなんだな」と思うまともな映画ファンの方、すいません。次の瞬間、奴隷船は丹波哲郎率いる海賊に襲われ、奴隷船と奴隷商人はさっさと海の藻屑となり、文太と女たちは南洋の小島に連れて行かれます。そして虐げられた文太と女たちは銃と弾薬を入手、トロピカルな村落と海岸で、海賊と女達の、弾丸と手榴弾と炎が飛び交うハデなドンパチが繰り広げられることになります。はっきりいって、何なんだかよくわからない作品です。

 同じく新東宝の「九十九本目の生娘」は、十年に1回,祭りというより秘密の儀式がある地方の山が舞台です。山に入った、都会から来たアホタレ娘が五月藤江扮するいかにも怪しいババァによってさらわれます。なんとババァのいる山頂の部落では、はるか昔から祭りの夜ごとに処女の生き血で刀を鍛えていたのです。ところがその年の刀作りに限って、すなわち九十九本目の刀作りは失敗します。当たり前です。さらわれた女の一人、「グラマー三原葉子」(ポスターの惹句より)は、誰がどう見たって生娘には見えません。前述の「女奴隷船」ほか、「女厳窟王」「セクシー地帯」「人食い海女」「海女と化け物屋敷」「女王蜂と大学の竜」などで、ジャンボなお色気を振りまく三原葉子は、昭和三十〜四十年代に欠かせない、非主流映画で活躍する要チェック女優です。一歩間違えば「花嫁吸血魔」でゴリラ女に変身する池内淳子も同じ宿命だったのですが、残念ながら後には続きませんでした。それはさておき。かくして新たに麓の村の警察署長の娘が生け贄に選ばれてさらわれますが、問題はここからです。昭和34年に作られたこの作品は、ただでさえ江戸時代かと見まごうばかりの貧窮・原始的な描写が続く部落民が、闇の中から無数に現れて拘置所や民家を襲撃するとか、麓から娘を救おうとやって来る警官隊を待ち受けて、崖の上から岩を落としたり弓矢で攻撃を仕掛けたり、ナマハゲみたいな装束を身にまとって菅原文太扮する青年警官に刀で斬りかかるなど、ほとんどイタリア映画に出てくる人食い人種と同じような扱いを受けているのです。監督は「妖蛇荘の魔王」など、怪作が多い曲谷守平。単なる猟奇映画かと思いましたが、古事記でスサノオノミコトが、山から生け贄を求めてやってくるヤマタノオロチを退治して草薙の剣を手に入れた話を思い出しながら観ると、この映画は別の面が見えてきて一興です。

 同年の東宝「グラマ島の誘惑」は、「しとやかな獣たち」「洲崎パラダイス・赤信号」など、人間をおもしろくも哀しくも戯画化した作風の作品を撮る川島雄三ですが、この作品では人間を超えて、神の子孫が出てきます。第二次世界大戦中、疎開中に事故で南海の孤島にたどり着いた皇族、香椎宮為久(森繁久弥)は、頭を抱える周囲の人々をよそに、平々凡々、豪華な堀建て小屋で、連れのアーパー女と子作りに励むという作品です。後にも先にも畏れ多くもかしこくもな方を脳天気なヒッピー扱いした作品は、未来永劫この作品だけでしょう。

 にっかつの「壇の浦夜枕合戦記」では、源義経(風間杜夫)が、天皇の実母、建礼門院にあれこれモーションをかける姿が描かれますが、天皇に弓弾くという意味でもっとひどいのが、東映の「徳川一族の崩壊」です。この映画は「柳生一族の陰謀」に始まる東映大作時代劇映画の最後の作品で、物語は幕末における会津藩松平容保(萬屋錦之介)と長州藩桂小五郎(松方弘樹)の戦いですが、とにかく無茶苦茶の連続です。まず、主演の萬屋錦之介を出さんが為に、当時二十代の美青年の殿様松平容保を、二十代の子供がごろごろいる中年おやじにしてしまいました。一方桂小五郎は、自分の妹と駆け落ち同然で結婚した下男(森田健作)に、贖罪として一つの指令を出します。幕府に味方する孝明天皇を暗殺しろというものです。確かに孝明天皇は未だ毒殺説が根強く信じられていますが、シナリオには下男が御所に進入、天皇の凄まじい悲鳴が聞こえてくるという、ストレートな場面があるのです。が、私が名画座でこの作品を観た時は、その場面があるはずのところで、「ブツッ」と音がして、フィルムが飛んでしまいました。果たしてこのシーンは実際に撮影されていたのでしょうか? 映画は明治天皇と倒幕派が固める御所に、会津軍が砲撃を加えて斬り込んでくるという、会津若松市民が怒るのか喜ぶのかわからない、絶対に史実にない場面で終わります。

 映画の輪禍は、皇家のみならず将軍家にも及びます。これまた2本とも、東映です。「大奥浮世風呂」は、エロ公卿を演じさせたら成田三樹夫と双璧を成していた菅貫太郎が将軍様に扮します。彼はインポで子供ができない為、大奥に浮世風呂、すなわち当時でいえばトルコ風呂、今風にいえばソープランドを作り、回春に燃えるのです。江戸城奥に作られた泡風呂で、将軍様は女を侍らしてこの世の天国を味わいます。ところが自分の子供を宿した女を側室に取られた貧民の志賀勝にチンポを切り落とされ、後々の徳川将軍家は志賀勝の子供が継いでいくというオチが付きます。映画では、歌いながら靄に包まれた竹林の中をさまよう狂女の後を付いて行く乞食の群れとか、ラスト、志賀勝に道端に放り捨てられカラスにつつかれる征夷大将軍のチンポとか、印象的なシーンがけっこうありました。同じような趣向は「エロ将軍と二十一人の愛妾」にも見られます。遊郭の女で筆おろしの最中、抜けなくなってしまって大騒ぎの、将軍就任直前の徳川家斉。慌てた側近は、姿形が瓜二つな町人の角助を身代わりに立てますが、角助は助平の固まりのような男で、妾を作り放題、最後は大奥を乞食どもに解放するなど乱行の限りを尽くし、結局角助の血が徳川の血筋として代々伝わっていくというものです。東映が異常性愛路線を経て乱発したエロ時代劇は数あれど、現在も現人神のお側に仕える徳川家の先祖に全く別人の血が混じっているとブチ上げたのは、堕落した権力側としたたかに生きる貧民のパワーを比較し、階級というものの愚かしさへのアンチテーゼの昇華した形と見ればいいのですが、えらく失礼な話です。

 血筋といえば、伊藤俊也監督の「犬神の悪霊」でしょう。犬神といっても、「犬神家の一族」とはなんの関係もありません。もちろん千葉真一の犬神明ともまったく関係ありません。地方の山村の仲の良い娘、麗子とかおり。麗子は村長の娘で、かおりは犬神憑きの血筋と噂される家の娘です。麗子は、ウラン鉱を掘りに村に来た大和田伸也と結婚しますが、かおりが大和田に好意を抱いていることを知り、次第に狂気に取り憑かれ、結局犬神憑きとして、巫女の白石加代子に殴る縛られるの御祓いの儀式を受けて悶死します。さらにウラン採掘場の毒が村の水源に混入し村人が多数死亡、村人はかおりの家を襲って家族もろとも皆殺しにします。残された父(室田日出男)は犬を首から下を地中に埋め、その眼前に餌を置いて放置、犬を狂わせてその首をはねます。雷鳴の中、犬の首は宙を飛んで室田の喉笛に噛み付き、その瞬間麗子の妹の磨子(長谷川真砂美。劇場版「ねらわれた学園」の高見沢みちる役が有名でしょうか)に犬神が取り憑きます(シナリオでは名前が磨子から魔子に変わるというオマケ付き)。魔子はかおりの家を襲った村の青年達がバイクで暴走しているのを襲撃して皆殺しにし大暴れ、さらに止めに入った大和田をも殺そうとしますが、ここらへんはどう見ても「エクソシスト」のリンダ・ブレアと化け猫ならぬ化け犬の合いの子パニック映画になり、前半の日本の迷信に踊らされた閉鎖社会の残酷性と愚かさを告発するような雰囲気は打って変わり、結局犬神は実在して人に害をなせるのだという社会的影響が懸念される設定を前提とした、オカルトパニック大活劇映画になってしまうのです。

 それでは肩の凝る映画の話はこれぐらいにして、娯楽映画の真髄、SF映画に話を移しましょう。

 おそらく日本SF映画史にその名も残さぬ珍作として印象深い(深くない、深くない)のが、にっかつの「透明人間・犯せ!」です。「一度は上がりたい、風呂屋の番台」なんて意味のフレーズがありましたが、透明人間になってのぞきをやりたいというのは、けっこうスケベな男どもが考えることです。「ラスト・アクション・ヒーロー」で、主人公の少年が映画の中に入れるチケットを手に入れてヒーロー映画を観に行くのはおかしい、普通の少年ならエロ映画を観に行くはずだと憤っている私のような方ならおわかりになるでしょう。アメリカでも念力を服脱がせに使う「超能力学園Z」なんてバカ作品がありましたが、スケベにはやっぱり透明人間です。実際、日本では「透明人間エロ博士」「痴漢透明人間」「痴漢透明人間PART2・女女女」「痴漢透明人間PART3・ワイセツ?」なんて映画もありました。監督はすべて関孝二で、彼は十年以上にわたって透明人間の映画を撮り続けるという、スペインで狼男映画を主演・監督し続けたポール・ネイシーに匹敵する日本の隠れたSF映画の大家なのです。それはさておき、林功監督の本作の主人公は研究室に勤めるさえない男ですが、以前助手を務めていた松山郁造博士の作った透明人間になれる薬を使って、女湯をのぞいて、義妹マリア茉莉やイヤな女上司宮井えりなを犯しまくります。うーむ、正直でよろしい。特撮も簡単な操演にはじまり、まがりなりにも合成を使用、なんと洋式便所で透明人間とその為に宙に浮かぶ女の座位によるセックスという、「さよならジュピター」で金髪相手に無重力空間でセックスした三浦友和はおろか、ILMでさえ実現できない(しない)驚異のSFXSEXを見せてくれます。映画中には♪消えますか、消えますよ〜と歌う、メイとフーのコンビのピンクベビィという歌手が出てきますが、そのピンクベビィと名前の似ている(笑)、当時人気絶頂のアイドル、ピンクレディーの映画「ピンクレディーの活動大写真」も、SFの匂いがプンプン漂います。映画はピンクレディーを主役にした映画を作ろうと、田中邦衛や石立鉄男らがストーリーアイデアを出し合うというものですが、極地から発見されたモンスターこと「モンちゃん」(ただの毛むくじゃらのぬいぐるみ)がサーカスでいじめられているのをピンクレディーの二人が助け出したところ、実はモンちゃんは宇宙から来たパラド星人で、ピンクレディーはUFOに連れ去られ、透明人間にされてしまうという、ヒットソングメドレーのようなストーリーが入っているのです。ちなみに脚本は、ジェームス三木です。

 モンスターが出てくる映画では、「誰かさんと誰かさんが全員集合!」も要チェックです。詳しいストーリーは省きますが、例によって茶・工事・注・ブーが、自分たちを痛めつけた長さんへの復讐を想像します。彼らの頭の中で、長さんはトンカチやノコギリ、ドリルでガーリガーリと手術され、改造されてしまいます。その姿は、体中が毛むくじゃらの、オッパイがだらりと垂れて、信楽焼の狸のようなでっかい金玉袋と、チンポ代わりの水道の蛇口をぶら下げた、ゴリラ人間でした。しかもこの特殊メイクが、本作が製作された1970年のものとしては異様にリアルで、どう見ても顔の部分は本物にしか見えないほど、グーな出来でした(別に長さんの顔がゴリラそのものと言っているわけではありません、念の為)。

 忘れてならないのが、にっかつの「絶頂の女」です。当時活躍していたバイプレイヤーの成瀬正が、あるゆるセックスに感じないロボットのような女スパイを作ろうと苦労する話で、彼はマンションだかビルだかのサイケな一室で、ストロング金剛のような巨漢を見張りに女を軟禁し、あらゆる性戯を叩き込んで、いつでも理性を失わないセックスマシーンを仕立て上げようとするのです。一応、姉の死が成瀬の仕業とにらんで自らを実験台にして復讐を図る山科ゆりとのドラマが軸になっていますが、女がエクスタシーを感じる度に苦悩の表情を浮かべる成瀬の姿がいじらしいやら、アホらしい、作っている方はまじめそのもののSF映画です。

 精神をコントロールする事が人間に望まれる事なら、肉体を改造することもまた、超人を目指す、人類の見果てぬ夢です。東映の「生贄の女たち」では、男なら誰でも(?)夢見る改造人間の話です。飛鳥裕子が国際結婚した夫ハリー・リームズは、一つの肉体的弱点がありました。はい、ご察しの通り、「ディープ・スロート」で肉食人種の大巨根を世界に誇示したハリー・リームズ、チンポが小さくて夜の生活では役立たないので、巨根を移植してもらう手術を受ける為に、来日したのです。手術は見事成功しますが、当然その巨根男性をめぐって、病院や普通の住宅街で、艶笑ドタバタが繰り広げられます。和室で浴衣を着たハリーが、カタコト日本語で演技をしているのを見ると、当時の日本人の外人信仰の深さをうかがえるとともに、なんでマリリン・チェンバースやシャロン・ケリーといった女優さんの方を呼ばなかったのかと、文句の一つも言いたくなります。

 さて、せっかく肉体を改造しても、自然の摂理は残酷です。ドイツの諺に「愛は時間を忘れさせ、時間は愛を忘れさせる」というものがありますが、せっかく美しく魅力的な肉体も、年齢とともに衰えていきます。にっかつの「桃子夫人の冒険」は、そんな時間の問題への人類の抵抗の一つの手段、冷凍睡眠を扱った作品です。しかし、リン・フレデリックが主演した、不治の病にかかった新妻を守る為、治療法が見つかるまで彼女を冷凍睡眠させたはいいが、結局治療法か見つかったのは数十年後、妻が全快した直後に夫が死んでしまうメロドラマ映画「熱愛」のようなものでなく、要するに長い間の冷凍睡眠から甦った日向明子(井上麻衣と並ぶ、「ポルノの百恵ちゃん」で有名)が、自分の義父・夫・子供を巻き込んで騒ぎを起こすという、他愛のないコミカルポルノです。

 もう一本、東宝の「ピーマン80」についても触れておきましょう。谷隼人と新井康弘が怪盗に扮するこの映画、二人が美女真行寺君枝とアン・ルイスをめぐるドタバタを演じた後、デパートから盗んだ売上金をめぐって争ったあげく、真行寺達に奪われるというものです。さて、これのどこがSFなのかというと、追跡劇を演じる谷と新井が、例によってさまざまな場所を走り回り、当時流行のインベーダーゲームの中に、ボーナスキャラのUFOとして登場し、消え去るのです。コンピュータの中に人間が入ってしまうという「トロン」に先立つこと三年、1979年公開の映画です。ちなみに本作はビデオで撮影された、TV感覚と言えば聞こえの良い、画質の粗い映画でした。

 それでは次は、アイドル映画に参りましょう。ここでは沖田浩之の「ヒロ・ザ・ヒーロー」や西条秀樹の「ブロウアップ・ヒデキ」のようなバカ映画は置いといて、もう少しディープな映画をご紹介しましょう。だからと言って、上條恒彦の「イーハトーブの赤い屋根」、中尾ミエが女子大生役で出てくる「なにはなくとも全員集合!」や、カルーセル麻紀のカラミが見られる「くの一忍法・観音開き」、市原悦子のヌード&勝新太郎とのラブシーンが見られる「燃えつきた地図」もやりません。前置きが長い? すいません。

 まずは、岡林信康主演、松竹の「きつね」です。と言っても、岡林信康がキツネのぬいぐるみを着て、山谷ブルースを歌い踊るような映画ではありません。北海道を訪れた髭面のさえない男、岡林が、一人の少女(高橋香織。高橋かおりとは別人です)に出会います。例によって、岡林とこの少女の交流およびすれ違いメロドラマが描かれますが、この少女は、実は平原で出会ったキタキツネからエキノコックス病をうつされ、残り少ない命となってしまいます。そして岡林は「私を好きなら、きつねを撃って」という言葉を真に受けて、北海道の凍りついた海に乗り込み、氷の山を苦労して駆け抜け、シベリアから流氷に乗ってやって来たキタキツネを撃ち殺します。さすが岡林、ただの難病恋愛映画には収まらないスケールです。しかもこの映画、中学生ぐらいの少女と岡林が肉体的に結ばれるという、難病&年齢差のある少女との恋愛物の映画のタブーを打ち破った、淫行を肯定している作品なのです。しかし落合恵子原作の「シングルガール」と二本立てで公開された本作は、見事に大コケし、幻の映画になってしまいました。なんやかんや書いていますが、この映画は、マジで泣ける、いい映画です。

 次は、百恵・友和の「ホワイト・ラブ」ではなく、その併映で、河島英五主演、東宝の「トラブルマン・笑うと殺すゾ」です。新型コンピュータA−80の機能を誇示せんが為に、コンピュータ会社CISはA−80に優秀な新入社員を選ばせます。そしてそのトップに選ばれたのが、河島扮する岩岩岩岩(いわいわがんがん)です。この岩岩、はっきり言ってランボーのように長髪でマッチョかつ不愛想で、おまけに仕事に対して全く熱意の無い男です。今さら辞めさせる訳にもいかず、会社は営業をさせますが、当の岩岩は一億円はするコンピュータをNECに売りに行ったり、田中邦衛扮する魚屋のおやじに執拗に売り込んで発狂させたり、いやがる社長秘書の多岐川裕美の尻を追っかけたり、節操無く暴れまくります。ただ暴れるのは良いのですが、主人公は不愛想で野蛮、おまけに人にただ迷惑をかけるだけの存在で、これほど観客の感情移入と共感を拒否するキャラクターは類を見ません。ギャグ映画としても全然笑えません。おかげで河島が都会の喧噪の中で孤独な自分をなぐさめるような持ち歌を歌う、アイドル映画特有のシーンでは、「何浸ってるんだ。バカヤロウ」とまで思わせます。監督は「ナインティーン」「ゴジラvsスペースゴジラ」の山下賢章。頼まれても笑うことのできない、失敗作でした。

 これらに比べれば、パンジー主演の「夏の秘密」なんて可愛いものです。題名を聞くと中山美穂が水着で暴れ回る「夏・体験物語」のようなさわやかな青春物語を思い起こしますが、原作が小林久三とあって、一筋縄では行きません。映画はいきなり東京オリンピックが中継されるTVのある和室で死んでいる、クリカラモンモンヤクザの死体が映るところから始まります。それでもしばらくはなんとかアイドル映画の体裁を保っているのですが,途中で当時一番人気の北原佐和子が失踪した当たりから話がどんどんずれ込み、殺人事件も発生、物語は松尾嘉代が戦後トルコ嬢をしていた因果ドロドロの物語まで発展していき(松尾のヌードあり)、クライマックスは燃えさかる炎に包まれた映画館で、ヒッシと抱擁する松尾と北原の親子の物語になってしまいます。私は、陰湿で猟奇的なアイドル映画(元アイドルの映画に非ず)というのを、これで初めて観ました。

 さて、最後に子供のアイドル、特撮ヒーローの映画について述べましょう。とりもなおさず、特撮ヒーローを演じた俳優は消えゆく運命にあります。たいていは一発で消えるか、黒部進や森次晃嗣のように時代劇の悪役、刑事ドラマの犯人役やヤクザの役で生き残る、小野進也や真夏竜のように芸能関係のビジネスマンに収まる、はたまた「特捜最前線」の刑事役に収まるパターンがほとんどです。

 特撮ヒーローを演じて知名度と人気を得て、「ジュリエット・ゲーム」に主演した村上弘明、「金閣寺」に主演した篠田三郎、「日本沈没」に主演した藤岡弘、あるいはステップアップしていく途中で特撮番組に関わった「ウルトラセブン」の松坂慶子や「仮面ライダーブラック」の田中美奈子、はたまた過去に築き上げてきた名声を買われて三顧の礼で迎えられた「電撃!ストラダ5」の宍戸錠や「超人機メタルダー」の上原謙のような例はまれです。「円盤戦争バンキッド」でペガサスを演じ、にっかつ映画を通っていった奥田瑛二や、ロマンポルノで変質者役で注目され、「ウルトラマンレオ」で春川ますみを縛り上げ、かつウルトラマンレオを氷漬けにしてノコギリ引きにした蟹江敬三のような例もあります。「人造人間キカイダー01」で、ビジンダーことマリ役を演じていた志穂美悦子は、長渕剛を警察から奪回する為に、倉田保明と組んで機動隊五百人を正拳突きで倒した……というのは嘘ですが。

 しかしそのほかの、特撮番組で有名だった俳優が映画に出演した例では、例えば「レッドバロン」に紅健役で主演した岡田洋介が槙健多郎名義で「毒婦お伝と首切り浅」でお伝の"ものすごい二枚目"情夫の市太郎役、同じく「レッドバロン」の大郷キャップを演じた大下哲矢が「玉割り人ゆき」で主人公ゆきの恋人役、「レッドバロン」(しつこい?)「マッハバロン」でレギュラーだった加藤寿が「(秘)ハネムーン 暴行列車」で新妻八代夏子を誘拐する強盗犯役、「帰ってきたウルトラマン」で郷秀樹を演じた団次郎がビデオ「けっこう仮面2」で殺された後ロボットとして甦る変態美術教師役を演じる、または「ウルトラマン」でフジ隊員役を演じた桜井浩子が「曼陀羅」で脱いだとか、「ウルトラセブン」のアンヌ隊員を演じたひし美ゆり子が「忘八武士道」で脱いだ、ついでに筆が滑ったふりをして書いてしまうと「メガロマン」の杉まどかが写楽のグラビアで脱いでいたなど、ほとんどが「あんた何やってんの」的な、子供番組の中のキャラクターと映画のキャラクターのイメージのギャップの差が激しいものです。その中で印象深い物を2本ご紹介しましょう。

 「鉄人タイガーセブン」「変身忍者嵐」という、マニアの評価は異様な程高いのに、知名度と視聴率はサッパリな2番組に主演した南条竜也は、にっかつの「団鬼六・緊縛卍責め」で、高倉美貴を強姦してSM好きのヤクザに売り飛ばす悪党を演じていましたが、なんと映画の中でピアノを弾きながら一曲歌うという、ファン感涙もののサービスを見せてくれます。

 しかしファン感涙というか落涙ものといえば、「人造人間キカイダー」でジロー役を演じ、ハワイでコンサートまで行った伴直弥が主演した「処女監禁」でしょう。伴はここで長髪姿もまぶしい、うだつの上がらないカメラマンの見習いを演じています。彼は、今は使われていないスタジオを下宿代わりに借りているのですが、そこの向かいのアパートに住むOL三崎奈美に惚れ、毎日のぞいています。どれだけのぞいているかというと、彼女が何をやったとか、何が起こったとかを、窓の横の壁に、小さい文字で壁が埋まらんばかりにびっしりと書き記し、その横に彼女と同じ大きさの全身像(もちろん全裸)の絵を描き、本物の彼女にホクロや痣を見つける度に、その通りに描き込んでいくぐらいの熱中ぶりです。感極まった時は全裸になって、十メートルぐらい離れたところからその絵に突撃し、チンポを突き立てたりします。さらに彼女のことを思ってオナニーする度に、精液が入ったままのコンドームに日付を入れて、冷蔵庫に保管しているのです。ところがある日、彼女が自室に男を引っ張り込んで、まぐわっているのを彼は目撃し、ショックを受けます。そのショックたるや、題名の「処女監禁」の「処女」がこの映画に出てこないじゃないかという、観客の怒りをはるかに超えたものです。伴は早速三崎奈美を誘拐し、自室に監禁します。部屋は元スタジオだけあって、広大です。彼はそこで三崎奈美を強姦します。そして偽の結婚式を挙げ、室内にテントを張って二人でアルペンスタイルをして、新婚ごっこを楽しみます。このオタク野郎! 子供のようにはしゃぐ伴は、彼女を置いて勤めに出ます。当然三崎は警察に訴え出て、伴が逮捕されたところで映画は終わります。ここで、抑圧された現代人の持つさまざまな「夢」が、幼児性の高い人間を通してアングラに実現された爽快な悪夢の映画とか、適当な批評ができる、それなりの質のあるエロ映画ですが、やはりあのキカイダーのジローが……というショックが、私の思考のすべてを拒否させます。……などと思っていたら、伴直弥は「電光超人グリッドマン」で、コンピュータの暴走によって止まらなくなった美容器具の上で、汗だくで助けを求めているおじさんの役を演じていました。ふん。

 それにしても、傑作佳作・珍作駄作、ここでご紹介した作品はビデオになっているものもありますが、たいていは滅多にお目にかかれるものではありません。なかにはプリントがジャンクされていて、おそらくせっかくご覧になりたくなっても一生観ることのできないであろう作品もあります。こまめに映画情報誌をチェックして、かかったら何はさておき、劇場へ向かいましょう。さあ皆さん、後楽園シネマで(あっ、もう無いんだっけ)、僕と悪趣味!


Back to A-Room

Back to HOME