はじめに

 以前映画秘宝「悪趣味邦画劇場」で、牧口雄二作品を最初に見たのは大井武蔵野館(東京・大井町)が最初という風に書いたが、筆者と牧口監督作品の出会いは、二十年以上前に遡る。

 当時小学生だった私は、映画といえば渋谷だった。『スター・ウォーズ』を見たのは渋谷だったし、『タワーリング・インフェルノ』『フレッシュ・ゴードン』『2001年宇宙の旅』『合衆国最後の日』『奇跡の詩』も、『ドカベン』『恐竜・怪鳥の伝説』も、観たのはすべて渋谷だった。理由は簡単、単にバス一本で行けて、子ども一人でも安心して買い物も映画も楽しめて、親に連れられて馴染みがあった街が渋谷だったというだけなのだが。

 私が利用していたバスは渋谷駅東口のターミナルに発着していて、そこが私にとっての渋谷の出入り口であり、その真ん前にある東急文化会館の映画館、パンテオン、渋谷東急、東急レックス(現・渋谷東急2)、東急名画座(現・渋谷東急3)の映画の看板が、私が当時知り得た、最先端の映画作品だった。そしてそこでバスに乗ると、バスは地下鉄銀座線の高架(渋谷駅は谷間にあるので、地下鉄である銀座線は表参道駅から渋谷駅に行く途中で空中に出ていく形になる)をくぐり、Uターンして明治通りを恵比寿駅方向に向かう。そしてそのUターンする瞬間、「ハチブドー酒」という看板が目立つ渋谷東映の建物が嫌でも目に入ってくる。

 当時の渋谷東映は地上3階建てぐらいの巨大な映画館だけの建物で、地下の渋谷松竹と共に、これまた私が一番目にする日本映画の最先端だった(山手線高架をくぐってちょっと歩けば東宝系の渋谷宝塚、さらに西武百貨店の方へ行けば、当時にっかつ映画を上映していた渋谷パレス座があったが、なかなかそちらに行く機会は無かったので、子供の時の印象は薄かった)。バスの窓からほんの数十秒覗く渋谷東映の看板で今でもまぶたに焼き付いているのが、一つは山藤章二の手による『トラック野郎・一番星北へ帰る』、そしてもう一本が『毒婦お伝と首斬り浅』だ。『お伝』の看板は、和服の襟から豊かな胸元を覗かせながら後ろ手縛りにされて正座した女性が大きく体を右にねじ曲げ、脅えた表情で宙に向かって何かを叫び、その後ろに刀を振りかぶった黒ずくめの和服の男が描かれていた。当時麻布十番にあった笹間書店という古本屋でエロ劇画を意味も分からず立ち読みして店主に叱られた程度しかスケベ関連の情報に接することの無かった私だが、この絵には様々な想像をかきたてるものがあった。

<綺麗な女性が、悪い男にひどい目に遭わされている>

 映画の内容とは全く違うが、合点の行かぬ悲しい映画に対する義憤や嫌悪感といった感情が私の中に湧き起こり、「どくふおでんとくびきりせん(「浅い」でなく「浅」だけだから「せん」だと私は思い込んでいた)」という題名は、その後も私の記憶の中にくすぶり続けていた。

 その後東京12チャンネル(現・テレビ東京)が正月に萬屋錦之介主演・内田吐夢監督の『宮本武蔵』シリーズ全作を一挙に放送、翌年に同じ錦ちゃん主演で『それからの武蔵』を製作・放送して高視聴率を上げた。これが現在もなお続く、同局の看板番組「12時間ドラマシリーズ」のデビューである。そして私が高校生になった頃に、東映製作の『風雲・柳生武藝帳』が放映される。内容的に同シリーズで一、二を争うクオリティとなった本作は視聴率的にも善戦し、各局が番組改編期に揃って長時間時代劇ドラマを製作する契機となり、翌年同局は『徳川風雲録・御三家の野望』を放送する。この作品では前作以上に忍者の活躍が描かれてアクション場面が多く、時折感心するカットが散見された。そしてその中で、大洲斎監督らと並んで、牧口雄二という名前があった。その後再放送も含めた時代劇ドラマを観ているうちに、牧口雄二という名前がよく見受けられる事に気づいた私は、その名前を深く意識するようになった。

 そして大学に入った私は親の臑を囓りながらバイトで得た金で映画を観まくった。そして大井武蔵野館で、牧口雄二監督の『女獄門帖・引き裂かれた尼僧』に出会った。この作品を初めて観た時の感動は、どう表現すればいいのか。三本立てだった番組を『女獄門帖』の為に二回観て、その後もしばらくは頭の中で反芻して、また上映されるのをひたすら待つようになった。個人的には題名から受ける印象通りの猟奇的な残酷時代劇映画を期待していただけなのだが、それ以上にこの映画には、日本映画史でも五指に入ると断言して良い独自の美学に満ちた映像と、映像が娯楽と通俗を感動に変える過程が味わえ、まるで長年憧れていた女性と心ゆくまでセックスした時のような解放感と陶酔感に満ちて席を立つ事ができるのだ。

 大井武蔵野館に他の牧口作品をリクエストし続け、それに応えてくれたかどうかは知らないが、しばらくしてから上映された『玉割り人ゆき』、そして前述の『毒婦お伝と首斬り浅』を初めて観て、「この監督はすごい」という事を再認識した。絵作りのうまさ、緩急のついたカット割り、情感をうまく引き出した細やかな演出……。多少思い入れが強くなってきた感もするのでこの辺で止めておくが、作品を観ているうちにこのまま単なるエログロ映画で片付けられるにはあまりにも惜しい、もっと多くの人に観て評価してほしいと思い、そして今一度新作を撮って欲しいと心から思ったというのは、自分にとって極めて稀な事であった。

 その後腰の重い自分が牧口監督にお話しさせていただく機会を得て、さらに映画秘宝誌で長年の思いを吐き出させてもらい、同じ思いを抱いていた方から激励の手紙をいただいた時には、正直長年の肩の荷が下りた気がした。さらにその後『女獄門帖』の研究本がワイズ出版から発売され(牧口監督のもとを訪れたワイズ出版の方は「悪趣味邦画劇場」を携行されていたという)、'96年に念願の新作時代劇『女郎蜘蛛』がVシネマという形ながら発表された。

 自分がこの一連の流れの中でどれだけの役割を果たせたかというと、おそらく駄文を書き散らしただけだと思う。そもそも「映画が好き」という人間は、私の世代でも少数派になりつつある。しかし百万人の理解を得なくても、百人の人間が共感してくれれば、筆者はそれでうれしい。特に今まで映画なんか観た事無い、観ても正月とデートの時ぐらいという人が観てくれれば、なおうれしい。牧口作品の多くは一度観れば、映画、それも日本映画というメディアの内包する面白さ、美しさ、優しさの全てを堪能することができる事を筆者は請け負う。そしてこの監督の新作を観たいと切に願う筆者の苦悶を御理解いただけると思う。

「牧口雄二? ああ、『女獄門帳』の監督さんね」

 映画を観る人全てが、こんな台詞を吐けますように。そしてまた、劇場で牧口監督の新作が観られますように。そう願って、このコーナーは筆者の拙い文章で埋めていく予定です。

 しかし……。考えてみれば失礼なことばかり書いているなあ(笑)。


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